ツバサの備忘録

主に備忘録代わりに精進記録を載せていくつもりです。

ICPC 2022 参加記

2021年以前はこちらからどうぞ

これまでのあらすじ


ICPC2021が終わり、突如としてvalorantにハマったツバサ君。
早生まれのためICPC2022の参加権利を持っていたが、競プロのモチベーションも低迷しており、コーチとして出るつもりでいた。
しかし、3月ももうすぐ終わりというタイミングで、かつてのチームメイトに声を掛けられる。
少し悩んだ結果、せっかく出場権があるので参加することにした結果、過去最大級の上振れを引き、国内予選を通過。
3年ぶりのアジアオンサイト予選、かつて大失敗したその会場で待ち受けているものとは…?

登場人物(チームMSB関連のみ)

m_tsubasa(僕)

チーム「MSB」のM担当。
修士2年生だが、早生まれのため、ICPC2022に参加。
valorantにハマっているが、ゲームがそこまで上手くなく、シルバーとゴールドを反復横跳び。
ICPCは泣いても笑っても最後。

suzuken君

チーム「MSB」のS & さわやかイケメン担当。
かつてはM担当の人に顔を忘れられていたことも。

ばやしこ君

チーム「MSB」のB担当。
彼のツイートは独特な雰囲気が漂っており、隠れファンが多い。

はてぃー

チーム「MSB」のコーチであり、M担当と同期。
原神にハマっており、discordではほぼ常にプレイ中と表示されている。

1日目

会場に着いてまず待ち受けていたのは、日本語と英語のミルフィーユだった。
受付の進行がどのようになるのか決まっていなかったのか、あるところは日本語で、またあるところは英語で会話が行われていた。
自分は英語がからっきしダメなので、英語が必要なパートはばやしこ君に押し付け、日本語パートだけしゃしゃりでるという先輩風の吹かせ方をしていた。

受付が終わり、荷物を置き、あたりを見渡すと、茶色のTシャツを着たスタッフがせっせと仕事をしていた。
よくよく見ると、Tシャツを着ていたのはりあんさん、てぃーいけさん、beetさん、つたじぇーさんのような、かつてICPCに参加していたレジェンドの方々だった。
その後おろおろしていると、てぃーいけさんに「ツバサさんですか?」と声を掛けられ、自分が覚えられていることに感動した。

リハーサルを終え、早稲田から出場している2チームのメンバーで夜ご飯(オスシー!)を食べることになった。
移動中、はてぃーに「今何時?」と聞かれ、つい脊髄反射で「おやじ」と答えてしまった。
1分ほど口を聞いてくれなかった。


ご飯を食べ、ホテルの部屋に戻ってしばらくしていると、チームメイトから銭湯にいきませんかと誘われた。
自分は行きたいところがあるといい、一人で行動することにした。
銭湯に行く二人を見送った後、自分も外を出て、ひたすら散歩した。
赤レンガ倉庫や山下公園に行き、3年前に来た場所を思い出しながら地面を踏みしめた。
海岸は非常に寒く、眼鏡をかけないと暗くて見えないが、眼鏡をかけると息のせいであたり一面が白くなってしまった。
しかし、まわりがカップルだらけであることははっきりと見てとれた。

3年前に写真を撮った、公園にある謎の噴水近くのベンチで10分ほど座り込んでいた。3年前のことをはじめとして、いろいろなことを思い返していた。
さらにしばらくすると、チームメイトから今どこですかと声をかけられ、慌てて帰ることにした。どうやら1時間半くらい徘徊していたらしい。
ホテルに帰った後は、シャワーを浴び、ポケモンsvのテラピースを集め、就寝した。

2日目

7時20分に起床した。ほかの二人を起こし、準備をして、会場へ向かう。
二人とも様子がおかしい。
昨日コーラを飲み過ぎただかなんだかで、ずっとトイレに行っていた。
やれやれといいながら、競技中のモチベーション向上のため、エミリアたんが載っている眼鏡拭きをテーブルにセットし、かつて国内予選で部屋に置き忘れたことがあるエミリアたんボールペンを取り出した。EMT。

3年前とは異なり、今年は時間通りに競技が始まった。
チームの方針として、ばやしこ君がA、suzuken君がBを担当することになっていたので、英語を読みたくない自分はさぼっていた後ろの方の問題がどのような問題かをざっと眺めていた。
A, B問題ともに解法ができ、コードを投げるが、どちらもWAが出てしまった。とくにばやしこ君は緊張していたのか、キーボードをうつ手が震えていた。
3年前に2完52位を取り、コーチに煽られたあの悪夢が脳裏にちらついた。
しかし、さすがにICPC5年目ということもあり、とくに焦ることはなかった。 それぞれの問題の現状を聞き、間違っている箇所や困っている箇所の修正案を提示すると、二人とも無事にACをもぎ取ってきてくれた。

その後は順位表を見つつ、解けそうな問題をピックアップして考察・実装した。
自分はDとGを実装、suzuken君がEを実装し、コンテスト中に解くことができた。
順位表ではこれでもかというほど通されていたFは、部分和問題というところから進まず、通すことができなかった。

最終的な順位は15位だった。昨年が13位だったことを考えると、競技から遠のいていた割には健闘した形ではあった。
しかし、昨年から国内予選・模擬・アジア予選とあらゆるところで自分の少し上に立ち、注目を浴びていた早稲田のもう片方のチームに勝つという夢は、相手のエースがコロナで不在の今回でさえ、果たすことができなかった。


コンテスト終了後は、企業ブースに行ったり、懇親会(非公式)が行われていた。
こたつがめさんや熨斗袋さんのような、昔に会ったことある方々にいくらか声をかけたが、名乗りもせず話しかけたせいで相手を困らせたりした。
その後、(早稲田とすごく縁がある、)いい生活でとてもお世話になっている多賀さんに声をかけると、すでに持っている名刺を新たにくれた。ロゴが変わったから是非、とのことだった。たしかに変わっていた。
じゅぴろさんにも初めて会った。思いがけないタイミングでびっくりして声が出なかった。
また、かつて会津合宿でチームを組んだこともあるホスフィンさんにわざわざ声をかけていただいた。声をかけられることはこれまであまりなかったので、感動して涙が出そうになった。
最後には、自分の競プロのモチベーションの原点とも言える、WAsedACのコーチを務めていたtossyさんともお話した。JAGの勧誘もされた。

懇親会後は、はてぃー、suzuken君と3人でお土産を買い、帰宅した。
帰り道、最後二人と別れた後、1時間電車に揺られながらポケモンsvのテラピース集めをした。テラピース緩和待ってます。

現役時代を振り返って

競プロを始めてICPCに初参加してから、今日で引退するまで、あっという間の日々でした。

  • 2018年に、競プロと出会い、ICPC世界大会に出場したWAsedACに憧れを抱きました。

  • 何をやっても上手くいっていた、人生の極大点とも言える2019年、ICPCでも国内予選を突破することができましたが、アジア予選という大きな壁を知りました。

  • 手にしていたものがほとんど零れ落ち始めていた2020年、レート順で高い方から集めたチームで組んで出場したICPC国内予選で予選落ちという結果に終わりました。

  • 心機一転やり直しをしていた2021年、ICPC国内予選でリベンジを果たし、アジア予選でも13位という結果を取ることができました。

  • 集大成の2022年、久々に開催されたオンサイトアジア予選で、これまでに会った様々な方に再会しました。最後まで公式に学内1位を取ることはできませんでした。

これまで何の取り柄もなく、自分に自信が無かった僕にとって、競プロに出会い、様々な経験をしたことは、間違いなく人生の大きなターニングポイントの一つでした。
これがなければ、競プロはもちろん、人間関係や就活も含め、様々な観点から見ても、今の自分は存在していないと思います。
これは、自分ひとりに限らず、これまで参加してきた多くの競技者に当てはまるのではないかと(勝手に)思っています。
今後、まだどうなるかはわかりませんが、ICPCのような大会が続いていき、様々な人にいい影響があるといいなと願っています。

本当はもっといろいろなことを書こうと思っていたのですが、自分の中での考えがあまりうまくまとまらないため、いったんここまでに留めておこうと思います。
最後になりますが、ここまで読んでくださった読者の皆様、これまで一緒にチームを組んでくれたチームメイト、一緒に競いあったライバル、ICPCを運営してくださっている皆様、自分のICPC出場を応援してくれていた友達の皆、仕事まで休んでアジア予選を応援してくれていた母親、いい結果を取るたびに褒めてくれた父親、競プロがきっかけで関わってきたすべての皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。

本当に、これまでありがとうございました!!!

おまけ

今後についてはまだ何も決めていませんが、せっかくなので何か恩返しができればいいなと思っています。
身の回りが落ち着いたら、JAGの招待リンクを探すところから始めようと思います。